震災の日の夜は
まず夕方 知り合いが(男) 家に娘が居ると言うので
会社から500M先まで(海側)行こうとするが
水かさが3Mもあって断念
アパート二階だし大丈夫だべとあきらめる
PM7時くらい
やることもないので
その知り合いと一時私のマンションに撤退
津波で流されていた物の上を走ったので
車タイヤ 三本パンク(泣)
夜中の0時に
水も引いたかなと
会社に戻る
車はパンクして走れないので
タクシーで
現金は大事だと思ったので
タクシーチケット使った
この時現金は財布にたまたま6万円円あったので
あとで色々助かった
震災時でも現金は強くて大事
夜中の1時に会社に付き
まずは知り合いの娘を探しにアパートへ
腰まで水にぬれながら歩く
知り合いの娘は
一階の人が避難所へ連れて行くと
置手紙が玄関に貼ってあった
もう夜遅いので
明日また非難所回ろうと話す
このアパートのところは
会社からたった500Mしか離れていないのに
津波の後が3Mのところにあった
すさまじい高さだ
周りの人は全員死亡間違いなしの高さだ
火事が起きているが
消防はおろか
誰一人いない廃墟の町だった
その火事の火でオレンジ色に明るい闇を
二人で歩いた
会社の裏のラブホテルの屋上に
女子が昼間から助けを求めた居たので
首まで水につかりながら
助けに行った
弟さんが迎えに来た居てので
車に乗せた
助けが遅くなって申し訳ないと思った
11日の夜はここまで
知り合いと二人で私のマンションに帰って寝た
翌日からの写真を添付する (掲載写真は全て僕の撮影です)
3月12日
3月12日
ここからの写真は震災後3週間程度経ってからだと思う
自分の車に戻っているのでパンクが治ってからだから
場所は仙台市宮城野区アウトレット仙台港付近
これは仙台市若林区
レストランあべーる
これは仙台新港付近
ここは親戚の会社
空の倉庫だったのに
津波で来たゴミでいっぱい
あとで自衛隊が奥で遺体を見つけた
物がいっぱいで奥まで行かなかったが
この時 遺体が奥にあった事になる
ここは
仙台市宮城野区蒲生
以前は古い普通の家がみっしりたっていた
津波で全てなぎ倒された
津波でなぎ倒された家はこのように
細かいゴミになって津波の末端にたまった
車に×が書かれているのは
自衛隊が捜索終了したしるし
この写真は震災から一週間以上たってからだと思う![イメージ 19]()
写真の仙台市宮城野区蒲生地区は
壊滅
あの日 蒲生地区は 警察 消防 自衛隊はどう動いたか
消防のヘリが小学校の屋上に居た人を運んだと聞いている
映像がないので真実かは不明
また屋上にいた人を運ぶ緊急性もなく
事実関係は不明
結局 警察 消防 自衛隊いずれも3.11は来なかった
過去に経験のない大災害 来れるほど各行政機関も人数は居ない
だから 来れなくて当たり前
当たり前だけど これないなら そもそも 存在がいらないかと
仮に来たって5分と息など止めていられるわけじゃないし
付いた頃には死んでるし
警察 消防 自衛隊 が悪いわけじゃない
自衛隊と警察は翌日朝から着ました
誰一人救えないけど
それもお役目か 誰かが死体を拾わないとね
自分の身は自分で守らないと と思う
あの頃
コンビニへの略奪はあった
あったが略奪と言うより
震災で閉店している店に勝手に入って
食べ物を取る感じだった
僕は食べ物があったが
多賀城などはかなり食料が無かった
あれは略奪だが廃棄する物を取ってる人がいたって感じだった
ひっくり返っている車から
ガソリン抜いてる人も沢山いた
ガソリン無かったからね
泥棒だけど
警察も見逃していた
どうせ捨てる車だし
ただ 少し 北斗の拳やマッドマックスのようで怖い感じではあった。
震災へ備えは
まず現金一人最低10万円は用意したい
水 これは飲める水 10日間以上は確保したい
食料 肉がすくに手に入らなくなる ハムとか日持ちする肉がいい
カップラーメンはいいが ガスコンロとガスが無いと意味ない
震災が起きたら しばらく社会は止まる
できれば震災地域から離れることをお奨めする
例えば北海道とか海外とか
ただ震災地域の空港は閉鎖になる可能性もあるので
県外脱出用のガソリンは確保して起きたい
この頃
関西ASWの人たちが
食料を送ってくれた
非常に助かった
この頃赤羽ジャイアンが電動バイクの納品に来てくれた
そして 関西ASWの人たちが送ってくれた食料を食べて帰った
被災地に入るときは自活できる食料持参は基本だ(笑)
そうそう
トイレットペーパーだけは
買いだめして置くようにお奨めする
いずれ使うし腐ったりしないから